先日プラナカン料理を食べた帰りの日。いつも面白い情報を提供してくれる友達のウィルソンが、興味深い記事を提供してくれた。
五年以上前の、相当ニッチな内容だけど、日本語の情報がなかったので、軽く紹介しておきます。
英語の情報では本名が載っているのですが、本名を書くと良くないと思う。該当の男性はイニシャルで表記します。
国籍を持たないROさん
ROさんの出生地は日本。日本人の父とシンガポール人の母親の間に生まれ、10歳からシンガポールで暮らしいた。
彼はシンガポールのローカル校を修業。男性国民の義務であるシンガポールの軍隊サービスにも従事した。当時は、日本人のハーフが軍隊サービスに従事するという事で、新聞でも大袈裟に取り上げられた。
ところが約2年後の2009年10月、彼に悲劇が起こった。22歳の誕生日を迎え1ヶ月経ったある日、香港旅行へ行くためパスポートを更新しにシンガポール移民局へ向かったが、その時移民局でこう言われたのだ。
How Valuable is the Singapore Passport?
移民局「あなたは、もうシンガポール人じゃない。その旨の通知書を送ろうとしていたところ。」
RO「どういう事だ?1ヶ月以上も前に22歳の誕生日が過ぎている。なのに、まだ公に通知書が届いていないなんて。」
ROさんはヤフーシンガポールに上記を報告した。さらに、彼は3ヵ月前に日本の国籍を放棄していたのだ。そのため、彼は法的に「無国籍」という事になる。
シンガポール国民と認められない理由
ROさんは、19歳の時にシンガポール国籍を授与され、その後2008年6月に軍隊サービスを終えた。シンガポールの国民である事を示すピンク色のIDとともに、手紙を受け取っていた。その手紙にはこう書かれていた。
シンガポール国籍であることを確定させたければ、21歳の時点で日本国籍を放棄しなければならない。
22歳になるまでの1年間の猶予期間が与えられていたのだ。二重国籍はシンガポールでは認められない。
「IDとともに送られてきた手紙の内容について読んでいなかったことは認める。締め切りを過ぎてしまうことが、どれほど深刻な結果をもたらすのかも認識していなかった。だけど、この件に関して何もしてなかったわけじゃない。」
ROさんは上記のように告げ、2009年7月に日本国籍を放棄、放棄の手続きを行っている最中である事を示す手紙も大使館から受け取っている旨を伝えた。彼は日本国籍の放棄が完了した後にしか、シンガポール国籍を誓言できないと思っていたのだ。
シンガポール移民局からは誓約のための催促状を二度も送付したと言われたが、ROさんは、催促状は受け取っていないと主張。
シンガポール国民たるべきバックグランドだが・・・
ROさんは、シンガポール生まれのシンガポール人の母親と風船造形ビジネスを営んでいた。母親はすでに日本人男性とは離婚している。日本は第三国ではないが、すでに彼は日本国籍を放棄している。
「何でシンガポール移民局は別の誓言のための日を与えてくれないんだ?」
彼はフェイスブックで、これまので苦悩を綴った。
・英語も全く分からない日本の小学校の第3学年の年齢でシンガポールの第2学年に入学したため言語や年齢の違いで苦労した事
・父方のステータスにより、学校では嘲笑されたり虐めを受けてきたが母親とのビジネスだけは楽しんできたこと
母親との風船造形ビジネスは上手くいっており、人手が足らずアルバイトまで雇っている。
「僅かかもしれないけど、私たちはシンガポール経済に貢献しているのに、どうして息子はここに住めないの?」
母親は嘆願を訴えた。それを受け議会のメンバーがシンガポール移民局のダイレクター宛に手紙を送付。ROさん親子は結果を待つことになった。
二通の通知書
通常ROさんのようなケースでは、21歳の間に誓約する必要がある旨が、両親に伝えられる。これは市民権証書にも記載されてることである。
加えてシンガポール移民局は該当者が21歳になった直後と、その半年後。合計2通の催促状を送付することになっている。22歳の誕生日までに誓約をしなかった場合、市民権は剥奪される。
以前、30歳のマレーシア生まれの男性が、同様のケースでシンガポール市民権を失っている。彼が21歳だった時、誓約しなければならない旨を母親が伝え忘れていたのだ。
結果として2003年からの数年間、彼は移民局から毎年発行される特別なパスでシンガポールに滞在していたのだ。幾度とない嘆願の結果、彼がシンガポール市民権を回復できたのかは不明である。
嘆願の結果ROさんは
市民権がないと言われた2009年10月から約1年後の2010年8月、とうとうROさんの嘆願が認められました。
当時シンガポール移民局はこの件について、このように述べています。
「一旦市民権を放棄した者が、権利を回復させる規定はない。彼は10歳に来星。2007年7月〜2009年3月の間、何度か誓約のための督促も送った。」
しかしながら、彼は2007年〜2009年に軍隊サービスに従事しており、誓約をしないといけない事も知らず、督促状も受け取ったことがないと主張。二人の議会のメンバーも彼をバックアップしたことが大きかったようです。
2010年12月、とうとう彼は市民権のための申し込みを提出。今回の件は移民局の怠慢だからと登録費用SGD100.00の支払いを一度拒んだため手続きが一度ストップしました。
How Valuable is the Singapore Passport?
一時は母親と営んでいるビジネスをたたんで、オーストラリアか日本に渡ることを考えました。しかし「シンガポールで育って、ここに友人もいる。他の場所で初めからビジネスをするのは難しすぎる」と、結局2010年の2月に妥協してSGD100.00を支払い、その10日後申し込みが正式に認められました。
教訓
ROさん、シンガポール市民権が回復できてよかったです。これを読んでシンガポールに来た当初にリクルートエージェントの方から言われた事を思い出しました。
「シンガポールはドキュメント社会である」
口約束なんてあってないようなもの。とにかく書類が全てものを言う。会社で働くさいの福利厚生、規定など、ちゃんと目を通していないと、とんでもない事態に陥る可能性がある。
実際に以前働いていたシンガポールのブラック企業では、みんな直ぐ辞めたがるので途中から、こんな規定が付け加えられた。
「一年以内に退職したら罰金として月収の3ヵ月分の給与を払うこと」
これが英語で記載されていて、シンガポールにきたばかりの英語慣れしていない日本人が、上記の旨を記載された紙にサインするんです。支払能力ないから無理やのに。
当方インドの会社で働いていますが、入社の際もやたらと提出書類が多く、あれは一つの試練でした。入社の際の面接なんかより数倍大変で「書類集めるの面倒臭いから、内定もらってるけど他の会社にしようかな」と何度思ったことか。
結局シンガポールにしても、インドの会社にしても、いろんな国籍の人がいるから、書類をきちんと集めておかないと、カオスな事になるんだろうなと思います。
ちなみに、日本のマイナンバー制度とかいうのもシンガポールでは、とっくの昔から行われています。
病院の受信、カジノ入場、税金の支払、銀行口座開設、警備の厳しいビルに入る時などに使われるわけですが、凄く便利ですよ。
最近、ツタヤのカード云々がマイナンバーで云々、ダメダメダメダメ、みたいなニュースがあったけど「日本神経質になりすぎじゃね?」と思いました。