2014年5月30日。※グロテスクな写真等が苦手な方はお控え下さい。
次の目的地はキリング・フィールド。クメール・ルージュ時代、改革の妨げになると思われた人々約300万人(人口の3分の1)がただ殺される為だけに連れて来られた場所だ。
予想以上に中心部から離れており、トゥクトゥクで25分程掛かったろうか。とにかく、目的地に近づくに従い周辺でくらしている人々の生活レベルが下がっているのは明らかだった。
到着。今では有名な観光地であるにも関わらず主な建物のはこの慰霊塔と博物館のみ。
入場料 USD6.00 を払い終えると、アナウンスレコーダーとパンフレットを手渡された。
正直カンボジアに行くからには、少しでも歴史を勉強し直さなければと思っていたが、仕事尽くめで、復習する余裕がなく後ろめたい気持ちで、カンボジアに到着してしまっていた。虐殺博物館にて受験生時代の、記憶がある程度蘇えったものの、はっきりとした当時の背景や事情はぼやけたままだ。
しかし、このアナウンスレコーダーとパンフレットは、そんな後ろめたい気持ちをすっかり解消させてくれた。
アナウンスは、まずレコーダーの使い方、当時の背景の説明から始まる。パンフレットには番号が振られていて、番号に該当する敷地内の地点も示されてる。レコーダーの案内は、当時そこで何が起きたのか、具体的に生々しく説明してくれる。小学生でも中学生でも共産主義、社会主義、資本主義、冷戦などの言葉の意味が分かっていれば、十分に理解できる内容だ。
この木の幹によって、処刑される人の首がかき切られたり。
赤ん坊は親の目の前で、両足を捕まれ、この木の幹に頭を打ち付け殺され、ゴミをすてるかのように、近くの穴に放り投げられた。
今でも、こういった穴だけでなく。
辺りの風景はいたって普通だが。
少し歩くと、やはり、ここは普通の場所ではないことに気づく。
そして、中央にそびえ立つ慰霊塔。
ここには、殺され方によって種類分けされた頭蓋骨が並べられていた。
博物館の中には。
当時のクメール・ルージュの制服。
処刑に使われていた道具。
当時の状況を描いた絵画。
動画なども公開されていた。
原始共産主義の理念によって、ここまで残酷な事が行われていたとなると、現代のカンボジア人は、極端なアンチ共産主義なのではないか。そう思わざるを得なかった。